高松高等裁判所 昭和37年(ネ)366号 判決 1969年6月27日
控訴人 三島良夫
被控訴人 香川県
補助参加人 国
訴訟代理人 叶和夫 外一名
主文
原判決中第一審原告勝訴の部分を取消す。
右坂消した部分の第一審原告の請求を棄却する。
第一審原告の控訴を棄却する。
訴訟費用及び参加に因る費用は第一、二審を通じ第一審原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
第一国家賠償法第二条第三条及び民法七一七条の請求について
一、原告が肩書地において土器川の水流を利用して水車営業を営んでいること、右河川は旧河川法(明治二九年法律第七一号)施行当時同法の準用河川に指定され(弁論の全趣旨により右指定は昭和二六年一月一一日であると認められる。)その管理は知事がこれに当るものとされていたこと、そして知事は造田砂防事務所を設け職員を配置して右土器川の維持管理に当らせて来たが昭和二一年度通常砂防事業として、原告方から約四〇〇米下流の地点に高さ三米(但しこの中旧河床上に出る部分が二米であることは後記認定の通り)幅一・七米、長さ四〇米のA号堰堤を設置し、これに引続いて原告方より約一五〇米上流の地点にこれと略同規模のB号堰堤を、さらにその後その上流にC号堰堤を各設置したこと、それ等の費用の一部は被告県に於て負担したこと及び昭和二四年七月の大雨の際土器川が氾濫し原告方母屋、水車工場、倉庫等が浸水したこと、以上の事実は何れも当事者間に争はない。
而して<証拠省略>によると、原告方宅地は土器川右岸に於て同河川敷地に突き出た形で存在し、且両岸よりかなり低い位置にある為(尚右宅地の土器川の流れに面した部分には、下から宅地の高さまで約三米の護岸壁が築かれていて、その下に根固めコンクリートがあり、土器川の現在〔当審昭和四三年七月一日検証当時〕の水位は右コンクリートより若干下のところにある。)前記堰堤築造の際その附帯工事として右護岸壁の上に高さ約一・五米、長さ約九〇米、天幅約七〇糎の防水壁が設置されたこと(尚右防水壁下端の宅地に接する部分に直径一〇糎内外の排水孔四個が設けられた。)が認められ、これを覆えすに足る証拠はない。
二、<証拠省略>によるとA号堰堤は土器川砂防の全体計画の一環として設置されたものであること、土器川は従来から急流で河床の変動が激しくその上終戦前後の山林濫伐によりその傾向が一層助長されるに至つたので治水の為堰堤が設けられることになつたのであるが、A号並にB、C号各堰堤は河床勾配の調整による河床維持、岸決壊防止等を直接の目的とし、A号堰堤はなお灌漑用水取入の為にも使用されていること、A号堰堤は中央水通部分において高さ三米、この内一米は河床より下、岩盤上に、二米が河床上に立つように設計せられ、この設置によつて上流の土砂が堰堤上流に貯留され、右貯砂機能が果されるときは堰堤直前の上流の位置における河床は二米上昇し、従つて順次上流に河床上昇が及び、その河床勾配は堰堤上流約一八〇米の地点において旧河床に復すものであつて、これによる河床勾配は従来の約二分の一である〇・三五パーセント(百米につき〇・三五米の勾配)になるものと計算され、上流のB、C号各堰堤もその形態に応じ同様の機能を果すものとして設置され、又、A号堰堤設置に当り算定された計画洪水量は四五〇立方米であつて、A号堰堤設置の地点においては適正とされる二〇年確率の計画雨量に基づいており多度津測候所の記録に基づく右二〇年確率の日雨量一六〇・三粍を基礎として算出された計画洪水量四三六立方米を上廻つていること、又河床上昇による水位の上昇は、通常の水流の場合は原告宅地附近まではその影響はなく、右計画洪水量の出水の場合にわずかに六糎余の上昇を見るに過ぎないこと(この点に関する証拠省略部分は採用し難い。)右四五〇立方米の水が流れても原告宅地附近における水位は前記護岸壁の天端より七、八〇糎高くなるに止り、流水が防水壁を越えて原告宅地内に流入する慮はないこと、以上のような計画に基づいて設置され、そして右計画はA号ダムとしては妥当であつて、かつほぼ右計画通りの機能を果してきたこと、以上の事実が各認められる。そして<証拠省略>によれば、原告宅地附近河床は昭和二四年七月の洪水当時河床の上昇はなく、その附近に堆砂を生じたのは右洪水後であることが認められ、右認定に反する<証拠省略>部分は措信し難い。
三、そこで原告方宅地への前記浸水がA号堰堤の設置と因果関係があるか否かについて検討する。
(一) <証拠省略>によるとA号堰堤の設置により逐次上流に向け堆砂して行つたが、昭和二四年七月の洪水時には原告宅地附近に未だ堆砂はなかつたこと、ところが右洪水の去つた後原告宅地附近に堆砂を生じていたものであることが認められる。右認定に反する<証拠省略>は措信し難い。そして<証拠省略>によると洪水時には堰堤の設置とは関係なく異常堆砂を伴い、堆砂場所も予測し難いことが窺われるのであり、殊に前記の如く土器川は従来から急流で河床変動の激しい河川であり、更に終戦後の山林濫伐により一層その傾向が助長されていたこと、右洪水が日雨量二一一ミリという異常な豪雨であつたことを考えると、原告宅地附近の堆砂は、A号堰堤の設置が原因したものではなく、右洪水により上流山間部から流出した大量の土砂によつて生じた異常堆砂であると推認される。<証拠省略>の記載は、その内容がやや不分明であるが、それがA号堰堤設置により排水口附近に堆砂したものとの趣旨の証明であるとすれば、直ちに措信し難いものであるし、又<証拠省略>によると昭和一五年当時は排水口附近は河床との間に相当の余裕があつたようにみられるが、同号証はA号堰堤設置より約六年前の作成にかかり、同号証の右記載を真実としても直ちにA号堰堤の設置によつて排水口附近の河床が上昇したものと断定できないことは当然である。
(二) 次に原告は、右浸水は土器川本流が前記防水壁を越えて原告宅地内に流入したものと主張する如くである。然し昭和二四年七月の大雨は前記認定の如く異常な雨量を記録し、従つて土器川の水位も右防水水壁の天端近くまで上昇したものと推認されるけれども、これを越えて土器川の本流が直接原告宅地内へ流入したとの事実はこれを肯認することに足る証拠はない、即ち(1) <証拠省略>によると、原告方母屋西側の土壁(それは前記防水壁の上に築かれている。)の内側には防水壁天端より二五糎乃至三〇糎上の線迄壁を塗替えた跡がありこれによると、右洪水の際の水位が右の線迄達したのではないかと考えられなくもないが、防水壁は母屋のひさしのある部分以外は雨に曝されているのであるから右ひさしのある部分にも自然と雨水が流れて行き、従つてその上に築かれている右土壁も雨水を吸収する可能性は大きいのであり、又<証拠省略>によると、原告方炊事小屋の土壁及び母屋南の間東側の壁に夫々残された浸水跡を示す線(何れも原告自身が前記洪水による浸水跡の線として指示したものである。)は何れも防水壁天端より低い位置にあることが認められるのであつて、これ等の点からすると、前記母屋西側の土壁の塗替え部分の線は当時の浸水の高さを示すものとは解されない。<証拠省略>には、土器川に架けられた原告方近くの矢渡橋の橋桁は七米の高さがあるところ右橋桁の上に昭和二四年七月の洪水時の流木が残つておりこれによつて当時の水深が判明する旨の記載があり、<証拠省略>によれば同個所に木材が残されていることが認められるのであるが、同号証の記載にはかなり誇張された表現があるのみならず<証拠省略>によると土器川流域の量水標の中で昭和二四年七月の洪水時に水深七米を記録したところがなく、最も高い水位を記録した常包橋量水標で、四・六五米である点を考え併せると、<証拠省略>中の右記載は果して真実に合致するかは疑わしく、同号証によつては土器川の水位が防水壁の天端を越えたものと認めることは出来ない。従つて又右のように木林が残存しているけれども、如何なる原囚により残存したものかはにわかに断言し難いものというべく、洪水時、同所まで水流が達したものとは速断できない。(3) <証拠省略>によると、右水害直後被害状況を視察した山地は、原告に対して前記防水壁を更に五〇糎高くすることを提案しているが、同証人の当審に於ける証言によると、当時同人は右所長に就任して間もない時期であつた上他にも多くの視察を要する個所があつて繁忙を極めていたので、原告方の浸水は土器川の流水が防水壁を越えて流入したものと速断して右提案をしたものでであることが認められるから、右提案のあつた事実も又土器川の流水が防水壁を越えて原告方へ流入したと認める資料とならない。(4) 更に<証拠省略>中には、右浸水は土群川の流水が前記防水壁を越えて原告宅地内へ流入したものである旨の供述並に記載があるけれども、右浸水のあつたのは夜中の一二時前後頃からのことであつて、右証人並に原告本人等が、土器川の流水が防水壁を越えて原告宅地内へ流入している事実を目撃したものでないことは右各証言並に原告本人の供述によつて明らかであるし、又甲第二号証の作成者等に於ても右事実を目撃したものとは到底考えられないから、右各証言原告本人の供述並に甲号証の記載によつても又前記流入の事実をめるに足らない。
(三) 他方、<証拠省略>を綜合すると、原告方水車営業の為の用水は前記B号堰堤から水路によつて原告宅地南端まで導き、同所に設けられた取水口(幅約一米)を経て宅地内の水車に流しているのであつて、右取水口を閉鎖せぬ限り原告宅地内に常に右水路からの水が流入しているのであるが、その排水口は前記護岸壁の下端部に、幅約六五糧、高さ約七八糎の大きさで、土器川の流れに向けて設けられている為、大雨により土器川の水位が上昇して排水口を覆うと、宅地内に流入した水の排水が困離となり(尚防水壁下端に設けられた排水孔はあるが、小さい上、土が溜つたりして、右排水孔による排水は僅かであると推認される。)又土器川の水位が更に上昇して護岸壁天端(即ち原告方の宅地の高さ)を越えると右排水口からも宅地内に水が逆流する可能性があること、昭和二四年七月三〇日夜から翌三一日早朝にかけて大雨が降り、当時の美合村(原告肩書居住地はもと美合村と云い、合併により琴南村となり更に町制施行により琴南町となつた。)で日雨量二一一ミリを記録し、而も大部分は七月三〇日午後一一時頃から三一日午前三時半頃迄の間に集中して降つたのであつて、これによつて土器川の水位が前記護岸壁を越えてかなりの高さに達したと推認されること、然るに原告は、当夜記取水口を開いたまま西山為市方で催された常会に出席し、午後一二時頃帰宅したときには既に右取水口から流入した水によつて原告方宅地は浸水していたのであり、原告は急ぎ右取水口を閉じようとしたが水勢が強く最早や如何ともし難い状態であり、宅地内の水位は刻々上昇する為、原告は家財道具類を取出す暇もなく、家族を起して辛うじて避難出来た状態であつたこと及び原告方宅地の東側には土器川右岸を構成する高地があり原告宅地に向けて崖となつており、崖の上にある水田の余水は原告宅地内に落水することとなつていること、以上の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。
(四) 以上認定の事実から考察すると前記大雨の際原告方宅地内へ流入した水の大部分は原告方水車用水の取水口からのものであることは明らかであり、これに原告方宅地東側の高地からの落水及び水車排水口から逆流した水等が加わつて本件浸水をみるに至つものであると認められる。尚仮に土器川の水位が前記防水壁天端を越える程度に達し、従つてその流水が防水壁を越えて直接原告方宅地内に流入したものがあつたとしても、時間的には先ず前記取水口から流入した水によつて浸水が始まり、土器川の水位が上昇するに伴い右取水口から流入する水の勢も強くなりその量も増大するのであり、これに前記落水及び逆流水が加わつて、宅地内の水深もかなりの深さに達した後に右土器川本流からの流入が始まるものと考えられるから、何れにしても右浸水の部分は取水口から流入した水によつてもたらされたものと云うを妨げないものである。(原審における原告本人の第二回供述によれば昭和三六年九月一六日の第二室戸台風時にも、土器川の水位は原告方宅地と略同一の高さであつたのに原告宅地には八〇糎位の浸水を見たこと、それは主として水車用水取入口から流入したものであることが認められる。)
そうすると本件浸水により原告の蒙つた損害は前記堰堤とは関係のない洪水に因るものというべきである。仮りに水位が急激に上昇し防水壁を越えた流水のみによつて浸水したとすれば当時は河床上昇はなかつたのであるからその浸水が洪水に因る不可抗力たることは一層明白である。
(五) 尤も原審における原告本人の供述(第一回)によれば本件土器川には昭和一三年にも洪水があり、(この点は争がない。)多大の被害を生じたが、原告方では宅地上に七〇糧程度の浸水を見たのみあるというのである。<証拠省略>によれば、本件洪水時より昭和二二年の洪水が雨量が大であるが((前者は美合村で二一一ミリ、後者は附近の造田村で二五七・二ミリを記録されている。)前者はわずか四時間程度の短時間内に集中的に降雨があつたのに、後者は前記昭和一三年九月四、五の両日に亘る雨量であること、土器川の氾濫による被害についても本件洪水の際には山林における伐採木材等の流出、山林の荒廃、多数の木造橋梁(殆んど原告方より上流)の流失、田畑の埋没、流失があり、(その比較については正確な資料は存しないが)その被害は同一に論じ難いことが窺われるのみならず、本件浸水時には原告方には前記のような防水壁の設置があり、前記説示の経過による浸水被害を考えると、両者の水害、降雨量の比較のみから推してA号堰堤の設置と本件浸水との間の因果関係を肯定することは出来ない。
四、原告は右堰堤は有効高に於て設計図通り施工されていないことが本件災害の原因である旨主張するのでこの点についてなお判断する。
A号堰堤は高さ三米(但し堰堤基底部から天端水通しの線まで)であるが、この中一米は旧河床(A号堰堤による堆砂前の河床)を一米掘り下げて設置することとし、従つて有効高を二米とするよう設計されていることは前認定のとおりである。原告は、右一米の掘り下げが行われていないと主張し、その根拠とするところは<証拠省略>の堰堤正面図及び河床縦断面図の通り旧河床は岩壁が露出していたのであつて、然るに現実のA号堰堤の下流側には右岩盤を掘り込んだ形跡はないと云うのである。そして<証拠省略>によれば現に右堰堤下流側からみた有効高(河床上の高さ)は三米であり、附近は岩盤が露出していることが認められる。然し右図面は何れも堰堤の設計図であり従つて堰堤そのもの及び地盤高等は正確に表示されているものと考えられるが、地盤の土質の表示まで正確であるか否かは疑わしく、殊に同号証の堰堤の縦断面図中3~4 7~8と5~6と表示した図面では地盤線の処に土砂の表示がしてあることを考え併せると、右図面中岩盤又は土砂の表示をしてあるのは、そこが地盤線であることを明確にし、堰堤は地盤を一米掘り込んで設置するものであることを明確にする為に表示したに過ぎないものと見られなくはない。そうすると右図面から直ちに旧河床には岩盤が露出していたものと認めることは困難であり、従つて岩盤が露出していたことを前提として現実の堰堤が設計より一米高く施工されているとの原告の主張は採用し難く<証拠省略>によるも未だ原告主張の事実を認めるに足らず、又原告本人の当審に於ける供述中右主張に添う部分は後記証拠に照して措信し難く、その他に右主張を認めるに足る証拠はない。却つて<証拠省略>によると同人は本件堰堤の築造に従事した者であるが、右堰堤附近の旧河床は土砂であり岩盤まで掘り込みをしてその上に堰堤を築造したものであることが認められる。のみならず<証拠省略>によると右堰堤設置前に存した旧用水路の側壁天端と右堰堤の水通し天端とは略同一の高さとなるよう設計されているところ、<証拠省略>によるとA号堰堤附近に旧用水路の側壁が残存しておりその天端と右堰堤水通しの天端とは略同じ高さであることが認められ、右の事実は本件堰堤が略設計通りに施工されているものと推認し得べき一の客観的資料となるものである。なお下流側から堰堤中央部下部に高さ八〇糎の暗渠が設けられているが<証拠省略>によれば暗渠の位置が右のように堰堤の高さ三米の下方一米以内の場所にあることは上記認定と矛盾するものでないことが明らかである。
次に原告は、右堰堤の設置に当り両岸住民に与える危険度を調査するとか或は損害補償の措置をとる等充分な配慮を払われなかつたことを以て右堰堤の瑕疵であるかの如く主張するが、斯る事実は堰堤自体の瑕疵とはいえないか、もしくは瑕疵の主張として具体性に欠け主張自体失当と云うべきである。
五、そうすると、本件堰堤に原告主張の如き瑕疵のあつたことを認めるに足りないし、又原告方宅地への本件浸水は前記認定の如き浸水の経路からするとA号堰堤の設置に関係なく発生したものと認められるから、何れにしても右浸水による損害の賠償を求める原告の本訴請求は失当であつて棄却を免れない。
六、次に原告は、昭和二六年八月末頃から同同二八年八月末頃までA号堰堤設置の為河床に土砂が堆積し水位が上昇して原告方水車の稼動率が低下したとして、これによる損害の賠償を求めるので検討するに、昭和二四年七月の洪水によつて原告方宅地附近に堆砂を生じたことは前認定の通りであるが、その当時は未だ原告方排水口附近まで堆砂していなかつたことは、前認定の通りA号堰堤が昭和二四年七月の洪水迄は正常に堆砂していたことと右洪水後原告方護岸の根掘れを生じ昭和二五年三月頃原告の要求によつて被告がその根固め工事をなした事実<証拠省略>から明らかである。ところが<証拠省略>によると昭和二六、七年頃には原告方排水口附近まで堆砂するようになり出水の場合水車の稼動に支障を生ずるようになつたのでその頃原告は造田砂防事務所に善処方を申出たこと、その頃被告側はA号堰堤に従来あつた六〇糎四方の穴を一米四方に拡げたこと(この穴を拡げる工事の為A号堰堤を一時V字型に切開いた)、その後排水口附近の堆砂が若干減少したこと、以上の事実が夫々認められる。然し右排水口附近の土砂の堆積がA号堰堤を設置したことに基因するものと断定すべき証拠は存しないのみならず、右堆砂を生ずるようになつたのは昭和二四年七月の洪水によつて原告宅地附近に前認定の如き異常堆砂を生じた後の現象であつて、右堆砂が原因してその後小規模の出水がある毎に、既存の堆砂の周辺に順次堆砂を重ねて、昭和二六、七年頃には右排水口附近にまで及んだものと推認されるのであり、又その頃A号堰堤の穴を拡大したのは、<証拠省略>によると昭和二五年のジエーン台風による出水の際A号堰堤の直ぐ上流に異常堆砂を生じたので堰堤維持の為にこれを下流に流す必要があつたことと、その頃原告が排水口附近の堆砂のことで砂防事務所へ善処方申入れている時でありA号堰堤の直ぐ上流に異常堆砂があることは好ましくないと云う行政的な配慮からなされたものであつて、原告方排水口附近の堆砂を流す為に行われたものではないことが認められ、又右山地証人の証言によると、前記堰堤の穴を拡大することによつては右排水口附近の堆砂に影響を及ぼすものではないことが窺われる。<証拠省略>中右認定に反する部分は措信し難い。更にその頃右排水口附近の堆砂が若干減少した事実も、<証拠省略>によると、その頃C号堰堤が完成して貯砂機能を発揮するようになつたことが影響しているものと推認される。<証拠省略>中の被告代理人の発言としてA号堰堤を一米切り下げれば原告方水車に支障がなくなる旨の記載があるが、以上認定の各事実に照すと根拠のあるものとは考えられず到底措信し難いものである。そうとすれば原告に於て右排水口附近の堆砂によつて水車の稼動率低下による収入減少があつたとしても、これをこれをA号堰堤の瑕疵に帰することは出来ないものと云うべく、原告のの前記請求は失当である。
又原告は、昭和二六年八月末頃原告が被告に対して本件損害賠償請求をなして以来得意先が激減したとして、これによる損害の賠償を請求するのであるが、右得意先激減の事実を肯認すべき証拠は存しないのみならず、仮に斯る事実があつたとしても、之による損害とA号堰堤の設置との間に因果関係があるものとは考えられないから、右請求も又失当である。
第二国家賠償法一条一項、民法七一五条の各請求について。
昭和二四年七月の水害による原告の損害及び第一の六に記載の原告の各損害は何れもA号堰堤の設置に基因するものでないことは、既に第一の一項乃至六項に説示する通りであるから、右各損害と被告のA号堰堤設置との間に因果関係のあることを前提とする原告の右各請求は、その余の点についての判断をなすまでもなく失当である。
第三そうすると原告の本訴請求は総て理由がないから、原判決中右請求を一部認容した部分は失当であつて取消すべく、又原告の本件控訴は理由がなく棄却すべきものである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八五条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 合田得太郎 奥村正策 林義一)